今回は2004年に起きたプロ野球再編問題で、プロ野球選手会が起こしたストライキについて調べてみました。
史上初のプロ野球ストライキはなぜ起こったのか、当時の選手会メンバーたちも紹介しています。
プロ野球選手会ストライキ2004はなぜ起こった?
球団合併に反対するため
2004年日本プロ野球選手会によって決行されたストライキは、
パ・リーグ球団が中心となった球団合併
に反対することがキッカケでした。
2004年9月8日に近鉄とオリックスの球団合併が正式に決定しており、
選手会側はその合併凍結を求めるため、ストライキに向けて動き出します。
当時、球団合併予定を報道されていた球団は下の通りです。
- オリックスと近鉄(2球団)
- ロッテとヤクルト(2球団)
- 西武・ロッテ・ダイエー(現ソフトバンク)・日ハム(4球団)
プロ野球再編問題として報道も過熱をおび、日本国民の注目を大いに集めました。
報道では10チーム1リーグ制になるって言われてたらしい
選手たちは自分たちじゃなくて、裏方の人の大量解雇にも繋がるって心配してたみたい
2004年のプロ野球選手会ストライキの内容
この球団合併による球団数の減少が選手の大量解雇に繋がると、当時のプロ野球選手会はストライキを決行します。
ストライキ内容
2004年9月18日(土)と9月19日(日)の1軍・2軍の計9試合が中止
これが日本プロ野球史上初のストライキとなりました。
プロ野球選手会ストライキの結末
このストライキ後に、球団側は態度を一変し3度目の団体交渉が行われました。
結果
- 来シーズンからは新球団を迎えて12球団でリーグ戦を行う
- 近鉄・オリックスの選手の移籍に関しては選手の意向を尊重する
- 新規参入球団への預かり保証金制導入
など合わせて7項目で球団側と選手会側が合意し、プロ野球再編問題は終わりを迎えました。
結局近鉄とオリックスの合併は承認されており、今の「オリックス・バッファローズ」が誕生しています。
この合併について、2004年当時オリックスに在籍していた谷佳知さんはこう語っていました。
正直、チームメイトはみんな「嫌だ」と言っていました。近鉄から27人が加入し、オリックスから13人が楽天に移籍しました。
(中略)
それまでの対戦相手が突然味方になるわけですから……チームの母体はオリックスなのですが、オリックスじゃないような感じがして、とても戸惑いましたね。
引用元:web Sportiva
確かに選手たちも複雑だよね・・
そして新規参入チームには楽天がオーナーとなる
『東北楽天ゴールデンイーグルス』
が決定し、2005年シーズンからも12球団でのリーグ戦が始まりました。
プロ野球選手会ストライキ2004を起こした選手会のメンバーは誰?
役職 | 選手名 | 所属 |
---|---|---|
選手会会長 | 古田 敦也 (ふるた あつや) | ヤクルト |
選手会副会長 | 立浪 和義 (たつなみ かずよし) | 中日 |
選手会長 | 磯部 公一 (いそべ こういち) | 近鉄 |
三輪 隆 (みわ たかし) | オリックス | |
高橋 由伸 (たかはし よしのぶ) | 巨人 | |
井端 弘和 (いばた ひろかず) | 中日 | |
松中 信彦 (まつなか のぶひこ) | ソフトバンク (旧ダイエー) | |
和田 一浩 (わだ かずひろ) | 西武 | |
小坂 誠 (こさか まこと) | 千葉ロッテ | |
小笠原 道大 (おがさわら みちひろ) | 日本ハム | |
鈴木 尚典 (すずき たかのり) | 横浜 | |
今岡 真訪 (いまおか まこと) | 阪神 | |
真中 満 (まなか みつる) | ヤクルト | |
西山 秀二 (にしやま しゅうじ) | 広島 |
このメンバーが中心となって、球団再編問題を球団側と闘ってくれました。
この闘争の中心人物で「闘う選手会長」と呼ばれた古田敦也氏は、のちに番組でこう語っています。
「熱いやつが多かったので、僕の背中を押してくれた方が多かった」
引用元:スポニチアネックス
みんなで一致団結してプロ野球12球団での継続を勝ち取ったんだね
近鉄は合併吸収されてしまったけど、最悪な事態は避けれたね
プロ野球選手会ストライキ2004は球団合併に反対した選手会による闘いだった
今回は2004年に起きたプロ野球再編問題として、プロ野球史上初のストライキについて調べてみました。
まとめ
- 2004年球団合併に反対した選手会による史上初のストライキが決行された
- 当時は10球団1リーグ制という案もあった
- 古田敦也選手会長をはじめ選手会メンバーは球団側と何度も交渉
- 決裂後の9月18日19日の2日間の試合を全て中止(史上初のストライキ)
- 翌日から球団側の態度が変わり、選手会の意向がほぼ通って終結
- 近鉄とオリックスの合併は逃れられず「オリックスバッファローズ」の誕生
- 2005年に新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」が参入して12球団が継続
2004年当時球団側として圧倒的な権力をもっていた巨人の渡辺恒雄オーナーが発言した、
「無礼な。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」
という言葉は世紀の暴言とも言われています。
そんな存在と闘ってきた選手会は、ファンによる後押しも力になったそうです。
プロ野球選手会のストライキはこれ以降後にも先にもなく、選手たちの存在意義や地位が高くなっている証拠だと思われます。