曽我部京太郎の父親は造船会社の経営者!両親や弟・家族構成について

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男子レスリング・グレコローマン67㎏級で、パリオリンピック出場を決めた、曽我部京太郎(そがべきょうたろう)選手。

そんな曽我部選手の父親はなんと、地元今橋氏で造船業を営む社長さんでした。

ということで、今回は曽我部京太郎選手のご両親や弟・姉について紹介していきます。

曽我部恭太郎選手のwiki風プロフィール
  • 曽我部 京太郎(そがべ きょうたろう)
  • 2001年7月3日生まれ
  • 愛媛県今治市出身
  • 身長・169cm
  • グレコローマン/67㎏級
  • 所属:ALSOK(2024年4月~)
  • 日本体育大学出身
目次

曽我部京太郎選手の父親は造船会社の経営者!両親はどんな人?

曽我部京太郎選手
Instagram

曽我部選手のご両親を紹介していきます。

両親

  • 父・耕司さん
  • 母・恵さん

曽我部選手の父・耕司さんは今治市で造船業の会社を経営する社長

曽我部京太郎選手の父と母

曽我部選手の父・耕司さんは愛媛県今治市で造船業を営んでいます。

会社名有限会社アイワベネフィット
所在地愛媛県今治市立花町2丁目2番10号
代表取締役曽我部 耕司
設立年月日2005年7月
事業船の建造や修理

(有)アイワベネフィットは、5社からなる新造船組立業のグループ会社で、曽我部選手の父・耕司さんはそのトップに立っているようです。

国内最大手造船メーカーの今治造船(株)とも取引があり、社員の技術力の高さが伺えます。

父・耕司さんは近くで曽我部選手の努力を見てきた

レスリングを始めるきっかけを与えたのも父・耕司さんでした。

そして耕司さんは曽我部選手が大学で家をでるまで、近くで競技生活を支えてきたようです。

家での綱のぼりや筋力トレーニングにつきそい、曽我部選手の努力を間近で見ていた耕司さん。

曽我部選手がパリ五輪内定を決め海外から帰ってきたときも、曽我部選手のオリジナルTシャツをきて空港に出迎えていました。

そばで息子の努力を見ていたからこそ、喜びが誰よりも大きいのかもしれませんね!

曽我部選手の母・恵さん

曽我部京太郎選手の母・恵さん

曽我部選手の母親は、恵さんです。

詳細な情報は分かりませんが、曽我部選手を含む3姉弟を育ててこられています。

夫である耕司さんが造船業の自営をされているので、もしかしたら母の恵さんは専業主婦として家庭を守っていたのかもしれません。

曽我部京太郎選手の家族構成や弟について

曽我部京太郎選手
Instagram

曽我部京太郎選手の家族構成

曽我部選手の家族は、5人家族です。

家族構成

  • 父・耕司さん
  • 母・恵さん
  • 姉・小雪さん
  • 曽我部選手
  • 弟・凛太郎さん

次に曽我部選手の姉弟について、調べてみました。

曽我部京太郎選手の姉と弟について

曽我部京太郎選手と弟・凛太郎さん
上が京太郎選手
下が弟の凛太郎選手

曽我部選手には3歳上の姉・小雪さんと、3歳下の弟・凛太郎さんがいます。

実は弟の凛太郎さんも、曽我部選手と同じくレスリング競技をしているようです。

  • 小雪さん
  • 1998年生まれ
  • 今治西高校卒業

お姉さんが兄弟の中で最初に通った今治西高校ですが、偏差値66と愛媛県3位の学力を誇る進学校です。

そんなお姉さんに続くかのように、弟の京太郎選手も凛太郎選手も今治西高校に進んでいました。

マロ

姉弟揃って頭いいんだね

  • 凛太郎さん
  • 2004年5月24日生まれ
  • 今工クラブ出身
  • 愛媛県立花中学校卒
  • 今治西高校卒
  • 2022年 県高校総体92kg級 優勝
  • 日本体育大学在学中
  • 2024年 JOCジュニアオリンピックカップ(U20) 72kg級 準優勝

凛太郎さんは2024年6月現在、日本体育大学に在籍していてレスリング部に所属しています。

兄・恭太郎選手と同じグレコローマンスタイルで、着実に実力をつけているようです。

曽我部京太郎選手の父親はレスリング経験者?

曽我部京太郎選手の父・耕司さん

父・曽我部選手の父親・耕司さんはレスリング経験者ではないようです。

しかし曽我部選手は幼少期から、今治工業高校にあるレスリングクラブ(今治レスリング少年倶楽部)に通ってました。

その理由が気になったので。調べてみました。

父:耕司さんは曽我部選手の恩師と同級生

曽我部京太郎選手が小さい頃からレスリングクラブに通い始めたのは、父・耕司さんと曽我部選手の恩師・越智雅史さんと同級生だったからです。

2人は高校の同級生。

越智さんは、曽我部選手が本格的にレスリングを習うために入部した今治少年レスリングクラブの指導者だったんです。

曽我部選手が生まれる前に、

「自分に子どもができたらレスリングを教えて」

と越智さんに軽くお願いしていたという父・耕司さん。

それが現実となり、曽我部選手は小学3年生から高校3年生まで越智さんの指導により、着実にレスリングの実力をつけてきました。

今治少年レスリングクラブでは高校生と一緒に練習していた

実は越智雅史さんが指導していた、今治少年レスリングクラブの練習場は今治工業高校にありました。

そこの練習場で練習していたのは、

  • 今治工業高校のレスリング部
  • 今治西高校のレスリング選手
  • 未就学児~中学生

と幅広い年齢の子供たちが一緒レスリングの練習をしているんです。

当時は今治西高校に通学していた、曽我部京太郎選手と弟の凛太郎選手。

勉強は今治西高校、朝練や夕練では今治工業高校に通うというハードな生活をしながら、競技を続けてきたようです。

まさに文武両道を貫いてパリオリンピック内定を勝ち取った、曽我部選手。

弟の凛太郎さんも、兄に続いて2028年のロスオリンピック出場を目指してほしいですね!

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